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理解力とは?多くの人は文章をちゃんと読んでもないし理解もしてない残酷な事実。フィクサーによる日本の教育改革本から。

どうも、ゼネラリスト武信です。 
 
今回は「理解力とは?「多くの人は文章をちゃんと読んでもないし理解もしてない残酷な事実。フィクサーによる日本の教育改革本から」というタイトルで話していきたいと思います。
 

では書いていきます。

  

目次。
a 多くの人が文章をちゃんと読んでいない理由1 分量と長文。
b 多くの人が文章をちゃんと読んでいない理由2 執筆側の問題。
c ここまでのまとめと読者側の問題。
d 情報量を増やす際のコツ。
e 文章を読む際の盲点とまとめ。 

 

6 多くの人は文章をちゃんと読んでもないし理解もしてない残酷な事実。 

 

a 多くの人が文章をちゃんと読んでいない理由1 分量と長文

 

いきなりですが多くの人は著者の文章を正確に理解していません。著者の文章とは「本屋に置いてある本」をここでは指すことにします。 

 

その理由の一つとして分量の問題があります。

 

本屋の本は正直8〜9割の本がすっかすかの内容の本という印象です。8〜9割の本は要約したら3分の1以下に収まるのではないか?と思うほどです。

 

3分の1以下に収まる(あくまで僕の推定値)内容をなぜ1冊の本の分量まで増やすかといえば、本屋で立ち読みだけされて逃げられないためです。

 

今の本の3分の1ぐらいの薄さの本だと立ち読みされて買われないことがありえます。そのために分量を水増しするのです。

 

分量の水増し分は読者にとってはムダな読書の努力となります。 これは本屋という業界の構造問題なのです。

 

そこに上手く参入したのが電子書籍や有料メルマガです。どちらも分量が本に比べて短く出せるメリットがあります。さらに文字数を少なくした分、安いのです。 

 

読者からすれば濃い情報だけを安い値段で入手できるのです。もちろん既存の本を電子書籍化したケースも多いですがそれだと電子書籍のメリットを充分に発揮できているとは言いがたいです。

 

 ここから話を戻します。多くの人は文章をちゃんと読んでいない理由は分量という視点がまずありました。それは本屋の業界の構造上の欠陥によるものでした。

 

そして分量が多くなると著者の主張を全て把握し、理解することが困難になります。 

 

著者の側はよく読者の質問に「本に書いてあることばかり質問するなぁ」と感じると思います。

 

それは著者は当然、自分で書いていることを全て把握していますが読者はそうではないという表れです。 

 

読者は基本的に長文に慣れていません。もしくは長文の本を著者並みに完全に把握するためには時間と労力がかかります。

 

著者も自分の本を書く際はかなりの時間と労力をかけたはずですが読者も全て読み解くにはそれなりに時間と労力を必要とします。

 

b 多くの人が文章をちゃんと読んでいない理由2 執筆側の問題。

 

また僕がここで問題提起しますが分量の問題ももちろんありますが「何を言いたいのかよく分からない本」にも遭遇します。

 

著者としてプロとしての文章力に欠ける人がけっこういるということです。

 

それらの代表格が学者系の人達(大学教授など)です。(全てではありません)

 

学者系の人達がなぜ文章が下手なのか?その一因として現在の大学入試の現代文は関係あるように思います。

 

そもそも学者系の人達があの現代文を名文だと思っているのなら市販のビジネス書などを真剣に解読した方がいいでしょう。(センスが悪すぎます) 

 

市販のビジネス書はやはりプロのライター(文章専門)が書いていることが多いだけあり読みやすさがけた違いに違います。

 

現代文は「批判的思考を許さず独自の発展的な解釈も拒み、著者の書いてあることを正確に理解することを念頭に置いた試験」です。 

 

しかし現代文の高得点層が基本的に学者系の人になるのですが(高学歴ですから。現代文を介さないで高学歴になった場合異なります。慶応やAO入試など)、その人達の文章が読むに値しないということはどういうことなのでしょうか?

 

現代文を再考した方がいいと普通は思いますよね?

 

悪文しか書けない人、または正確な文章読解が売りの現代文派の人達が文章力も文章読解さえもまともにできないのです。

 

文章読解のケースでは現代文で高得点を取る人にサンプルは少ないですが僕の本を読ませても誤読するかまともにきちんと読んでいません。 

 

さきほど書いた「本に書いてあることを質問」するのです。

 

もちろん分量の問題も本が濃くて深い理解を要する点も関係あるのでしょう。

 

それらを考慮に入れても現代文高得点層が僕の本もまたは僕の記事でさえ、まともに理解し把握していないとしたら現代文とはいったい何なのでしょうか? 

 

ここまで書いてきましたが僕の文章は量が多いですか?

 

では要約してみてください。

 

意外と削る箇所が少なく感じられるはずです。

 

それは無駄なく書いているからです。 

 

c ここまでのまとめと読者側の問題

 

世の中の大半の人は僕の記事の分量でも多く感じるはずです。

 

それだけ分量に慣れていないのです。分量は削りに削っても伝えたいことが多い場合、どうしても多くなります。

 

もちろん市販の本のすっかすかの本は著者に責任があります。 

 

ですが要約した文章や濃い記事やブログや濃い上に分量の少ない電子書籍の場合、削れないのです。

 

その場合、読者側の情報処理能力や理解力に問題があります。

 

しかし世の中の大半の人はそもそも分量に慣れていないというのは大問題です。

 

情報量の多さ=発信力になりますし、世の中での問題解決力につながるからです。

 

情報を少なくすればいい、シンプルがいいという人は世の中の複雑性を理解してない意見です。 

 

正直、たくさんの武器を与えられたという「たとえ話」にすると2つぐらいしか使いこなせていない人だと言えます。

 

上級者は極端な話、50くらいの武器は使いこなしているのではないでしょうか?

 

将棋で言えば、情報量が多い(定石や詰め将棋など)方が強いはずです。

 

情報量が多いということは武器のオプションをたくさん持っており、有利なのです。

 

あとはそれを使いこなせるかどうかだけです。(武器の使いこなしについては以下の記事「武器を与えられれば勝てると思っている人へ」でもっと深く書いています)

 

将棋で情報量を少ないままで戦うプロがどこにいるのでしょう?

 

世の中も同じです。情報量が少なくていい、シンプルでいいという人は武器が少なくていいというのと同じです。

 

それで戦える相手であればいいのですが上に行けば行くほど強豪になり勝てなくなります。

 

また情報量が少ないとディベートにも不利になります。情報量は大いに超したことはありません。

 

それだけ反論のスピードも速くなります。既知が多いので未知の分野を開拓できるからです。

 

既知には無意識な反応で済ませ、未知に意識を当てられるので、思考の余裕ができるのです。 

 

情報量の話は、「ダントツにすごい人になる」という本に書かれています。P256~257からの引用です。

 

ある勉強会で将棋の谷川浩司永世名人にお会いしたのですが谷川さんは将棋が強くなるというのは読む手が減ることだ、と仰っていました。

 

この話はまったく同じだと思います。無意識にがばっと裁ける力が実は強い。

 

本当の達人は数手しか読んでいない、と話していらっしゃいました。

 

そうなんですか。

 

谷川さんによると論理的には将棋にはたとえば開始時点で自分が30手、相手が30手で自分と相手が一回打つだけで900の場面展開があるけど、本当に強い人はそのうちのいくつかしか読む必要がない。

 

その数手を深く、深く読んでいるんだそうです。以上、ここまで。

 

d 情報量を増やす際のコツ

 

加えて情報量を増やす際には正確さ重要度も重視すべきです。闇雲に情報を増やしてもゴミ情報が増えるだけですので。

 

ただ自身に評価軸がない場合、そもそもどの情報が正確であり、重要なのか判別が難しいですよね。 

 

よって個人のIQや情報処理能力によって対応が異なりますがIQが高い人は情報量を詰め込み、低い人は詰め込む際に吟味すべきかもしれません。

 

さらに正確な情報を闇雲に集めるより、体系立てて集め、整理すると自分の中の脳内地図が綺麗にまとまり、処理しやすくなるはずです。 

 

e 文章を読む際の盲点とまとめ

 

さらにここで追加情報です。

 

人は「見たいものだけを見る」ようにできています。もしくは自分の興味がある分野だけに特にフォーカスを当てる癖があります。

 

その癖は自分の価値観をさらに強固にし、増幅させる結果となります。

 

ビジネス書を読んだ後に「自分の価値観に合っていたことや知っていたこと」は自分の認識が間違っていなかったのだと再確認し「自分の価値観と違うこと」が書かれていた場合、最初から無視するか、忘れてしまうか、慎重な方なら反論したり、根拠は何だ?と検証し直すでしょう。 

 

大半の人は自分の見たいものだけを見るので書かれていることで自分の価値観に合わない内容は脳から忘却させます。

 

苫米地氏の主張でいえば、「スコトーマ」(盲点)ができているということですね。 

 

こういう読み方は非常に危険です。世の中の構造がどういうになっているか現実を直視することなく、無視することになるからです。

 

そして自分の都合の良いように現実を認識するので、読書をいくらしようが、間違った方向に進むことになります。(この話の前提は本が正しく書かれているということです。本が間違っていた場合、疑う姿勢は大事ですよ) 

 

そうならないためにも著書と真剣に向き合い、自分の価値観とそぐわない内容でも考えたり、調べてください。

 

現実をきちんと認識すれば世の中は有利に生きられるようになります。

 

現実を歪めて見た場合は現実と自分の価値観や信条などが合わないわけですから、いちいちぶつかります。

 

僕の著書もそういう意味で格闘するつもりで読んでもらえれば幸いです。 

 

1 「自分の価値観に合った情報しか見ない点」2 「1つのことに集中すると他の情報が見えなくなる点」「前提知識がないと見ても実は見えていないという」3つのスコトーマ(盲点)が挙げられます。 

 

火災の例を出しますと、1 「火災そのものが重要だと認識していない人がいる点」であり、2 「火災の中では他のことに気が向かない点」であり、3 「「火災、つまり火についての知識がなければ見えていないのと同義という点」(他の例では原始人に携帯電話を渡しても理解できない点)ですね。 

 

まとめますが世の中の人は文章をちゃんと読んでいませんがそれはヤバいのです。

 

分量の構造問題もありますが分量にも慣れなくてはいけません。

 

情報量で負けてはいけません。(情報の正確さ重要度の判別は個人のIQなどによって対応が異なります。IQが低い人は情報の膨大な収集は無理です。処理しきれません)

 

そして見たいように読む読書の仕方は危険ということです。

 

注意してください。 

 

最後に繰り返し主張しますが、僕のこの文章を要約してみるといいと思います。いかに無駄なく書かれているかある程度、分かるかと思いますので。

 

 参考・引用文献。

「ダントツにすごい人になる」

「立ち読みしなさい」