世の中取扱説明書「本モノ」

本物の本やモノなどを紹介し、世のトリセツとなるようにします。

理解力とは?シリーズ「理解力こそが人生を左右するスキルである」PART2

どうも、「世の中取扱説明書」です。

 

理解力とは?シリーズ「理解力こそが人生を左右するスキルである」PART2というタイトルで話していきますね。

 

今回のテーマは「世の中は変な人で成り立っている」です。

 

読者ターゲット。(読んで欲しい人)

タイトルに興味を持った人。

洞察力を深めたい人。 

 

ゴール。(この記事を読んで得られること)

タイトルの意味が分かる。

洞察力が上がる。

 

では書いていきます。

 

  

シリーズの目次 

1 見えている人には見えている世界がある

2 世の中は変な人で成り立っている。

3 何を重要だと思うかの視点は人それぞれ違う。

4 何を重要だと思うかの視点は人それぞれ違う2

5 人間は、皆、見ている世界が違う

6 人間は皆、見ている世界が違う2 

7 新井紀子さんの主張。

8 経営コンサルタントShinさんの主張。

9 

 

目次。

1 世の中の変な人の定義とカモにされる理由。

2 変な人は2種類に分類でき、皆、感じ方が違う。

3 前提知識を増やすことの大事さと変な人とまともな人は分かり合えないという話。

4 変な人が大多数だからこそ世の中は成り立っているし、変な人を安易に片づけない方がいいという話。

5 理解力は盲点という話。

 

 

1 世の中の変な人の定義とカモにされる理由。

 

「世の中の変な人」の定義とは「現実認識力、理解力が低いか、情報不足の人(情弱)の人」と定義します。

 

僕は基本的に人間は「情報処理能力と理解力(や思考力)とインプット量とアウトプットの仕方で向上する」と考えています。

 

そして変な人とはそのどちらかが欠けているから、世の中で弱者やカモにされるか情報処理能力や理解力が高い情報強者に理解されないために出世や人脈ができないのだと考えています。

 

2 変な人は2種類に分類でき、皆、感じ方が違う。

 

僕は情報処理は普通より若干高めぐらいだと思いますが現実認識力と理解力は高い方だと自負しています。また情報も圧倒的にインプットし、アウトプットの鍛錬も怠っていません。

 

僕のような人間から見て「この人、変な人だな」と思う箇所は「現実認識力や理解力が低いか、情報不足かアウトプットの仕方が下手な人の2種類」にだいたい分かれます。

 

人は同じ情報に接しても同じように理解していません。その理由としては「前提知識が皆、バラバラであり、なおかつ理解する能力がバラバラ」だからだと予測します。

 

前提知識と理解力は相互作用します。前提知識が増えてくると理解力も増すパターンは多いです。または理解力が高いと前提知識が若干、不足しても補うことができます。

 

陰謀論の話でも同じ情報に接していて理解の仕方が異なります。見えている世界が異なります。人それぞれの世界の認識の仕方(世界観)も異なります。

 

3 前提知識を増やすことの大事さと変な人とまともな人は分かり合えないという話。

 

僕としてはまずは前提知識を増やす、つまり情報不足を少なくすることが圧倒的に大事だと思います。やはり知っていればそれなりに智恵もつくのです。もちろん知っていてもいくら説明しても理解できない人がいて、その人の理解力に限界があるケースもあります。

 

「変な人」と「まともな人」(定義は情報処理能力、理解力が高く、情報強者とする)は分かりあえません。

 

お互い、見えている世界も違いますし、前提知識、理解力も違うからです。(そこに性格などが違うも含みます)

 

4 変な人が大多数だからこそ世の中は成り立っているし、変な人を安易に片づけない方がいいという話。

 

しかし「変な人」が世の中では大多数であり、だからこそ世の中の商売が成り立っているのも事実です。「情報の非対称性」で儲けている例はたくさんあります。つまり情報強者が情弱をカモにしています。

 

または情報処理能力や理解力が高い人がそれらが低い人を操ります。メディアの大衆操作なども含まれます。為政者や権力者も大衆の情報処理能力や理解力が低いからこそ操れるのです。

 

そして「変な人」に接した場合、「この人、バカだな」と安易に片付けない方がいいとも感じます。

 

なぜかというと情報不足によって「変な人」になっている可能性があるからです。そのひとに情報を地道に段階的に与えたら、もしかしたら理解してもらえる可能性は残ります。

 

しかし「変な人」と周りに言われる人というのはそもそも情報処理能力も理解力も低いし、情報を得ようという意欲もないからこそ現状に甘んじているわけであり、そこからの脱却は難しいかもしれません。

 

そもそも「まともな人」はまず情報収集に貪欲です。情報の価値が分かっているからです。そして理解しようと訓練もしますし、アウトプットも訓練します。だからこそ「まともな人」になるのですが。

 

5 理解力は盲点という話。

 

理解力という視点は意外と盲点だと思います。情報処理能力は脚光を浴びるのに対し、理解力(や思考力)にはあまり重点を置く人は少ないのではないでしょうか?

 

しかし不思議に思いませんか? 同じ情報に接していても千差万別で認識、捉え方が違うのです。これは情報処理能力の差ではありません。

 

僕は「理解力」は生きていく上で大事なキーワードだと考えています。

 

「理解力」の差で「まともな人」から「ちゃんとした評価」を受けられないと思うからです。(こう書くと差別的に見えますが定義を思い出してください。情報処理能力と理解力と情報量の違いですよ)

 

理解力とは本質を掴むこととも言い換えられます。つまりどの点を大事と思うかまたは物事の要素や因子などを見つけるのが上手い人とも言えます。

 

瑣末なさほど重要と思われない点はほどほどに触れたり、本質と関係ない話は例外項目として処理したり、物事の構成を整理したり、体系化したりできる人は理解力が高いでしょう。

 

試験で言えば、どこが大事でテストに出るか?を見極められる力ですかね。(ただし出題者も重箱の隅をつつく問題を出題するケースがけっこうあり、本質を掴んでないこともあります)

 

最後にいろいろな話題の論点、話のネタ、突破口になればいいなと思い、この記事を書きました。

 

ではこの辺で。