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理解力とは?シリーズ決定版論考「理解力こそが人生を左右するスキルである」PART6 

どうも、「世の中取扱説明書」です。

 

理解力とは?シリーズ決定版論考「理解力こそが人生を左右するスキルである」PART6というタイトルで話していきますね。

 

今回のテーマは「人間は、皆、見ている世界が違う2」です。約5000文字ある力作記事です。気合を入れて読んでもらえたらと思います。有料情報です。

 

読者ターゲット。(読んで欲しい人)

タイトルに興味を持った人。

洞察力を深めたい人。 

 

ゴール。(この記事を読んで得られること)

タイトルの意味が分かる。

洞察力が上がる。

 

では書いていきます。

 

  

目次 

1 見えている人には見えている世界がある

2 世の中は変な人で成り立っている。

3 何を重要だと思うかの視点は人それぞれ違う。

4 何を重要だと思うかの視点は人それぞれ違う2

5 人間は、皆、見ている世界が違う

6 人間は皆、見ている世界が違う2 

7 新井紀子さんの主張。

8 経営コンサルタントShinさんの主張。

9 

 

「人間は、皆、見ている世界は違う2」

 

目次。

1 ひろゆき氏の動画。

2 4記事からのまとめ(バッググラウンド編)

3 4記事からのまとめ(世の中の変な人と世界観)

4 事例集

5 まとめ。

6 まとめ2

7 最終的なまとめ。

 

1 ひろゆき氏の動画。

 

まず、以下の動画を見てください。

 

簡単に要約します。

 

茂木健一郎さんが言っているクオリアは説明した気になっている概念だといいます。

 

ひろゆき氏の見える青色と他の人が見ている青色は違うかもしれなく、同じだとは証明不可能なのだと言っています。人の声の感じ方も人によって違うかもしれない、つまり感覚は比較できないといいます。

 

色弱の人は色の見え方が違います。また普通は3色しか見えないのだけど、アメリカの研究では4色目が見える事例があったそうです。その4色見える人からしたら、他の人に対して「なんで、この違いがわからないの?」と思うだろうと推測しています。

 

ひろゆき氏は色弱のせいで、日本ではパイロットになれなかったと言います。他の国では色弱のせいでパイロットになれないルールはないのにと。

 

色弱の人は色の区切り方が違うだけだと言います。虹の色も文化圏によって区切りが違います。普通は7で区切りますが、人によっては7で区切る必要はなく、グラデーションだと言います。

 

ひろゆき氏は色弱のせいで得をしているといいます。欠陥がある人は他の人と違った見方、感覚の仕方になっているので他の人と違う意見を言えたり、生き方ができる利点があるのですと。

 

欠陥がある人は人と違ったモノの見え方をするので個性が出てきて、希少価値にもつながるのです。

 

ひろゆき氏は色弱のせいで、他の人と違う情報処理をしており、人と違うアウトプットをできるので人生、得をしているのでは?という自慢話というオチだそうです。ちなみに色弱の人が有利だという証拠、出展はなく単にひろゆき氏の個人的感想だそうです。

 

「何かの能力がないということは何かの能力に秀でる可能性がある」と言っています。チンパンジーの例を出しています。詳しくは動画で。以上、ここまで。

 

 2 4記事からのまとめ(バッググラウンド編)

 

ここから以下の4記事を参考にしてまとめます。

 

「世の中は変な人で成り立っている」

yononakatorisetu.hatenablog.com

 

「人間は、皆、見ている世界が違う」

yononakatorisetu.hatenablog.com

 

「人間なんて生き物は、所詮、大したものではない」

yononakatorisetu.hatenablog.com

 

「人間を判定する指標」

yononakatorisetu.hatenablog.com

 

人間は「前提知識、経歴や様々な体験、理解力や情報処理速度や認知特性などの思考や感覚器官などの影響など(これを簡単に、以後、バックグラウンドと書きます)から言わば、皆が独自のサングラス(色眼鏡)をかけて、世の中を見ている」ことになります。

 

人間のバッグラウンドは全部、違いますから、同じ現象、同じ本、同じ出来事や事件、同じニュースを見ても感じ方が違います。

 

だからこそ皆が、分かり合えないわけです。

 

ここで感覚器官の話は上のひろゆき氏の動画である程度、語られていました。

 

3 4記事からのまとめ(世の中の変な人と世界観)

 

ここで私が定義する世の中の変な人を書きます。世の中の変な人とは「現実認識力が低いか、理解力が低いか、情報不足(情弱)の人」と定義しています。これは自分や他人や社会への認識力、評価力の低さという意味です。

 

つまり感覚器官だけでなく、理解力や情報処理能力、さらに前提知識の量まで言及しています。

 

また様々な経歴や体験については、以下のようにまとめられます。

 

「その人が今までの人生で築き上げてきた人生観や世界観や人間観など」が人間を判定する上で重要な要素です。

 

つまり、その人が「過去の人生経験上からどのように経験を意味付けし、認識し、理解し、世界をどのように認識しているか?という世界観」が大事ということです。

 

4 事例集

これの具体的事例は以下です。

 

事例1

スカイプの出会いの場所にいる人達は私は変な人がかなり多い(メンヘラ率高い)と思っていますが極端に酷い態度を取られることは稀です。

 

しかし別の人にとってはその人の何かの要因によって、暴言を吐かれたりする率が上がるかもしれません。そうなるとスカイプの出会いの場所にいる人は極端に変な人ばかりというバイアスになります。

 

事例2

昔の知り合いの例ですがその人はモテ男であり、だからこそ「ある女性のことをどう思っているの?」と聞くと、毎回「いい子だよ」と言うのです。そのモテ男には接する女性の多くが「いい子」に見えるのでしょう。

 

対してモテない男がいたとしたら、接する女性への感想はおそらく毎回「ヤバい子ばかり」になるでしょう。事実、女性陣はモテない男へそういう接し方をしているのですから、その男がそう感じるのは当然です。

 

このように今まで語ってきた事実を知っていれば、世の中を歪めて見ることを防げます。

 

例のモテる男からしたら、モテない男の「ヤバい子ばかり」という言動は「?」に感じるでしょうし、モテない男からしたら、モテる男の「いい子ばかり」という言動は「?」になるでしょう。

 

両者とも同じ現実を味わっています。両者とも嘘を言っていないのですが自身の魅力などにより、ここまで食い違いが起こるわけです。

 

事例3 

才能がある人が東大などの銘柄大学に軽く受かって「大学入試は楽だったよ」と言うのはその本人は嘘を言っていないわけです。

 

対して才能がない努力型の人は「大学入試はきつかった」と言うでしょう。そして実際にきつかったわけで嘘を言っているわけではありません。

 

同じ大学入試でもこのように感じ方に差があります。仕事や人生にもあるでしょう。だから食い違いが出てくるわけです。

 

その人の言動はその人自身の能力や魅力などにより、相手が接し方を変えたり、現実(仕事や大学受験など)への対応力が変わるなどして両極端になるのです。

 

その人の言動に「?」と感じたときはその人自身は本当に嘘を言っていない実感、リアルの体験からそう言っている可能性があるかもしれませんので、その人自身の魅力や環境などバックグランドをいろいろと考慮して汲み取る必要があります。以上、ここまで。

 

5 まとめ。

 

自身の魅力(外見、声、知性など総合力)と理解力現状認識力把握力と、他者が接してくるやり方(現実)と、現実(大学入試や人生や人間関係など多数)への対応力、適応力のしやすさなどにより、その人の世の中への人生観や世界観や人間観は皆、異なると思います。

 

これは経歴や体験が主の話になります。

 

ここに前提知識などを加えます。

 

前提知識と経歴や体験、そして理解力や情報処理能力や感覚器官などのバッググラウンドが皆、異なるのでそれぞれ、違うサングラス(色眼鏡)で世の中を見ていることになります。

 

その人自身が語っていることは事実な点も多いと思います。例えばさきほどの例で言えば、自身の魅力やモテ具合により、相手の接し方が変わってきており、魅力が高い人やモテ男と魅力が低い人やモテない男では接している人間関係が異なっている可能性があります。

 

ここに性格(価値観含む)も入れられるかもしれません。ビッグファイブやエニアグラムなどですね。

 

これによっても理解力や現状認識力が変わっている可能性があります。極端な例では「悲観主義か、楽観主義か」によっても世界の見え方は違うでしょう。他には「性善説性悪説か」でも異なります。

 

6 まとめ2 

 

他の思考傾向では「白黒思考」があります。いわゆる1か0かの思考であり、グレーゾーンや確率思考がありません。以下の記事で書いています。

 

yononakatorisetu.hatenablog.com

 

僕は常に、確率思考で生きています。この主張の精度はだいたい何%ぐらい当たっている精度かなとか本の良し悪しでも、本によって事前に点数をつけて予測しています。

 

白黒思考の人って確率概念がなく「やったか、やらないかったか」や「起きたか、起きなかったか」の2択で考える人が多いです。

 

結果的には「やるか、やらないか」などの2択で選択するのが基本ですが、そこまでの過程では確率があるわけです。ちなみに、2択以外に折衷案もあります。

 

また人間は本能では共通部分もあり、それは「自分が一番大切、つまり、自己中で、ポジショントークをしがち」というものです。これは人間の生存本能でしょう。

 

さらには分析力でも人によって差があり(理解力ともつながりますが)、それによって「自己評価と他者評価の両方か、いずれかで狂いが生じる」ことになります。「自分には甘めの評価を与え、他人には厳し目の評価を与えるのが人間の大半の行動原理」ということです。

 

ここまで人によって見えている世界が異なると、国語の試験、特に小論文は成り立たないと言えそうです。恣意性が強すぎるのです。点数、スコア化にはなじみません。

 

かといって現代文の評論でも解釈は本当はそれぞれであり、著者以上の解釈をする場合もあり、それだと☓をつけられるわけです。

 

小説になったら主観要素が強すぎて、本来なら試験になじみません。このように国語力は重要ですが、試験とはなじまないのです。

 

とはいえ一定以上の国語力の判定に試験は使えるという意見もあります。その通りです。しかし厳密に点数が上位だからといって、国語力が卓越しているとは限らないのです。

 

あくまで足切りや一定以上の国語力があると判定できるだけです。

 

7 最終的なまとめ。

 

まとめます。

 

バッググラウンド(前提知識、経歴や体験など、理解力や情報処理能力や感覚器官など、性格(エニアグラムなど)、人間の共通部分(利己的本能、自己評価高め傾向など)や、白黒思考など)が皆、違うから、世界が異なって見えるわけですね

 

似たバッグラウンドがあれば同じ思想を持つことになり「ああ、その考え、分かる」と理解し合えます。

 

ですがバックグラウンドが違うと「よく分からない。または、私とは思想や意見が違う。果ては拒否、拒絶し、攻撃するか、改心させよう」となります。

 

人類のバックグラウンドが皆、異なるからこそ、それを理解しようという姿勢が大事なのです。

 

しかし理解するのと受け入れるのは違います。理解するとは「そういう考えもあるね」と存在を認めることであり、受け入れるとは「私もその考えに賛成だ」となります。

 

そして主観の世界(芸術や趣味や食べ物など)では「人それぞれ」は許されますがビジネスや国の世界では勝者の価値観が絶対視されがちということです。

 

なぜならビジネスや国が勝者の思考をしないと滅びるからです。「人それぞれ」なんて許容できないのです。

 

または多様性(どちらかと言ったら何の役に立つか分からない分野)が許されるのは国力や経済力があるうちだけです。

 

今、日本を支えているのは民間の企業です。つまり就活によって、初めて人は人生の厳しさ、世の中の価値観は思ったほど「人それぞれじゃない」と悟るわけです。

 

大学入試や大学まではそれなりに「人それぞれ」が通用する世界だったのかもしれません。

 

もちろん主観の世界で勝負する人達は棲み分けがかなりできますよね。「人それぞれ」の許容度、多様性が大きいので勝者もバラエティに富みます。

 

イケダハヤト氏のようなブロガーの存在が許されるほどブロガー界は多様性に富んでいます。

 

ともかく「人間は、皆、見ている世界が違う」のですし、そういう人達を自分の感覚や思想に合わせるのは並大抵ではないということです。

 

まずは相手のバックグラウンドを調査することです。どんなバッグラウンドによりどんなサングラス(色眼鏡)をかけて世の中を見ているのか?を探るのです。

 

今回の知識はかなり実生活で使える智恵だと思います。

 

ではこの辺で。