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理解力とは?シリーズ「理解力こそが人生を左右するスキルである」PART8

どうも、「世の中取扱説明書」です。

 

理解力とは?シリーズ「理解力こそが人生を左右するスキルである」PART8というタイトルで話していきますね。

 

今回のテーマは「経営コンサルタントShinさんの主張」です。

 

読者ターゲット。(読んで欲しい人)

タイトルに興味を持った人。

洞察力を深めたい人。 

 

ゴール。(この記事を読んで得られること)

タイトルの意味が分かる。

洞察力が上がる。

 

では書いていきます。

 

  

目次 

1 見えている人には見えている世界がある

2 世の中は変な人で成り立っている。

3 何を重要だと思うかの視点は人それぞれ違う。

4 何を重要だと思うかの視点は人それぞれ違う2

5 人間は、皆、見ている世界が違う

6 人間は皆、見ている世界が違う2 

7 新井紀子さんの主張。

8 経営コンサルタントShinさんの主張。

9 

 

理解力とは教科書をきちんと理解できる力という簡単な定義もあれば以下に述べるようにいろいろと広げていくこともできると思います。

 

まず以下の記事の定義を紹介します。Shinさんの「シンプルTODOリスト仕事術」にも掲載されているようです。

 

ある問いがあったとして、しっかりと正しい答えを出せること、それを「モノゴトを理解する」と定義します。

 

そう定義したときに、問いから答えを出すときに、出し方が大きく4タイプに分かれるのです。とあります。

 

問いから答えを出すまでに「ステップの段階」があるのです。

 

以下「理解できる人」の4タイプです。(「理解できない人」が5番目です)

 

1 ステップが極端に少ない人が天才型です。(周囲は理解できませんが本人は理解してしまいます)

 

2 ある程度少ない人が秀才型です。

 

3 ステップが極端に長い人が「話が長い人」です。(くどい説明をするタイプです。細かく刻んだ説明をされないと理解できません)

 

4 TPOに合わせてステップを使い分けられる人が「適切な人」です。(理解し知っている人にはステップを短くし、理解不足で知らない人にはステップを長くするなど使い分けます。理解するときもTPOに合わせて理解します)

 

5 「理解できない人」は途中のステップでつまずきがあり、頓挫してしまいます。

 

天才型や秀才型は自分がステップが短くても理解できるので細かく刻まないと理解できない人の気持ちがわかりません。

 

「理解できない人」を救うのは「話が長い人」か「適切な人」です。

 

どちらもステップを細かく刻んだ経験があるからです。

 

理解力(理解のプロセス)とはこのように「問いから正しい答えに至るまでのステップの段階の細かさの度合い」としても表現できるでしょう。

 

この話は、昔読んだ以下の本に載っていた記憶があります。(理解とはステップの数であるといいう話です)

 

 

 

また僕はPART2の記事で情報処理能力よりも理解力は大事だという話をしました。

 

そこでは理解力とは「本質を掴むこと」だということを書きました。または認識力でもあります。

 

「この世の中の現象や現実をどのように認識しているか?」「どのような世界観を持っているか?」によって生き方も行動も変わってきます。

 

情報処理というと素速く、処理するイメージが強いです。「同じ情報に接していてもどのように解釈するか、理解するかは人それぞれ」ですので情報処理と理解力(認識力や解釈力とも言うかも)は別物でしょう。

 

どの点を重要と見なすか?は人それぞれです。

 

そこには自分の過去の経験談や価値観やバックグラウンドなどにより、捉え方が変わってくるのでしょう。「同じ本でも年齢によって感じ方、捉え方が変わるのは経験などにより、成長したから」です。

 

PART3と4で「何を重要な点を見なす視点は人それぞれ違う」と書いています。

 

理解力という視点は洞察力へとつながります。「本質を洞察する」からです。

 

本質を捉えることが人生、大事でしょう。理解力をステップの数と考えることもできます。または本質を見抜くことでしょう。

 

「要素や因子を見抜くのが上手い人のことを本質を掴むのが上手い人」と僕は定義したいですね。

 

理解力(認識力、解釈力など)の高い人とは「ステップの数」を適切に理解していて「本質を掴むこと」(要素や因子を見抜ける人)が上手い人と言えるかもしれません。

 

理解するということはそのものの本質をきちんと掴むことです。それは「ゴール」とも言えるでしょう。

 

つまりゴール(本質)を掴むためにステップの数をどれくらい踏むかによって、ゴールへの到達度へのスピードが違うか、またはステップをきちんと踏めないとゴールへ辿りつけないかになるわけですね。

 

でも思うのですよ。ステップをかなり詳細に説明しても著者と同じ理解(本質、ゴール)に到達しないケースがあると。

 

それはそのひとが経験したことがないからか想像もできない、または信じられない、信じたくないからかは分かりませんがともかく、同じ理解(本質、ゴール)に到達しません。

 

つまり色眼鏡や偏見というスコトーマ心理的盲点)がかかっている状態というわけです。

 

だから理解力を単純に「スタートからゴール(本質)へのステップの数」と定義するのはおかしいということです。

 

ステップをいくら詳細に辿ってもゴール(本質)にたどり着かない人がいるわけですからね

 

それはその人の能力の限界か、スコトーマにより見えていないなどの理由があります。

 

この理解力という概念はいろいろな解釈ができそうです。あくまで僕の視点です。 

 

PART9へ続きます。