スマホで読めて真の実力者になれる「世の中取扱説明書」

スマホで読めます。通勤時間や隙間時間に忙しいビジネスマンや時間を持て余している学生さんなどに読んでもらいたいです。真の実力者になりましょう。

自分基準を押し付ける人達

どうも、「世の中取扱説明書」です。

 

自分基準を押し付ける人達というタイトルで話していきますね。

 

読者ターゲット。(読んで欲しい人)

タイトルに興味を持った人。

 

ゴール。(この記事を読んで得られること)

タイトルの意味がわかる。

 

では書いていきます。

目次

1  自分基準の具体例1

2  自分基準の具体例2

3  自分基準の具体例3

4  自分基準についての私の意見

 

1  自分基準の具体例1

  

「自分基準を押し付ける人達」というテーマで論じたいと思います。

 

以下の記事「他者への想像力が欠ける人達」とテーマ的に似ていますが別視点で論じます。

yononakatorisetu.hatenablog.com

 

 

「自分基準」とは言葉そのままの意味であり、自分をほとんどの分野で基準にしてしまうことです。そして「自分基準」を他者に押し付けるのです。 

 

具体例はたくさんあります。

 

1 自分の価値観(宗教、哲学、学歴、教育、思想、異性の好みなど多数)を基準とし、それを他者に押し付けることです。

 

宗教を押し付けたら、古来から戦争が起きていますし、宗教の勧誘は嫌われます。宗教は「人それぞれ」を認めない傾向があり、自身の宗教を絶対視し、それを他人に押し付ける、つまり勧誘までするから嫌われるのです。

 

哲学や学歴や教育や思想や異性の好みなども基本的には「人それぞれ」です。もちろん似た者同士が集まるのが世の常です。

 

僕の読者層もおそらく偏差値で言えば55以上か、偏差値は低くても意識高い層向けだと思います。

 

僕の価値観や文章の内容に共感か、何か学び取ろうとしているからこそ読んでくれていると思っています。僕の価値観や文章の内容に共感しない読者は「そういう人もいるし、世の中多様だから、仕方ない」で済まします。

 

2  自分基準の具体例2

 

2 自分の経験や体験だけを絶対視し、他人の経験や体験を軽視し、自分の経験や体験の価値観だけを押し付けることです。

 

自分が経験したり、体験してないことは認めません。これは「他者への想像力が欠ける人達」とほぼ同じテーマですね。自分が病気や苦難を経験してないのなら他人の辛さはまったく分からないということです。

 

具体例としてWBCの選手の活躍を「好きでやっているのだし、自分で選んだのだから、きつくて当たり前」と一蹴するタイプの人です。

 

普通の人はWBCの選手の苦労が推測できるのだとしたら「好きでやっているし、プロだし、高額の金をもらっているのだからきつくて当たり前だろうけど、めちゃくちゃ頑張っているのは分かるよ」ぐらいに留めます。

 

3  自分基準の具体例3

3 どんな人でも、「自分基準」があるのが普通であり、それが確固たるものにまで昇華されれば個性となりますがそれを他人に押し付けた時点で「他人の基準」を軽視することになります。

 

具体例として体力がある人は体力がある自分基準があり、それを他人に適用しがちです。そして体力がない、または運動が苦手な人にこう言うのです。「もっと鍛えろよ」と。

 

4  自分基準についての僕の意見

 

以上、自分基準を他人に押し付ける人達について論じてきましたが自分基準というか、ある価値観を他人に押し付けてもOKな場合もあります。または押し付けてはいけない自分基準や価値観もあります。

 

順々に説明していきます。

 

押し付けていい自分基準や価値観は「勝者、成果を上げること」への価値観です。それは日本で高所得者になったりして税金を納めれば皆に恩恵が行き渡りますし、成果を上げることは会社では絶対史上主義なのでこれを否定したら、会社は沈没ですし日本沈没へもつながります。

 

この価値観だけは守らないと日本は弱者の国になり、生活水準が下がり、貧困国になります。僕の本フィクサーによる日本の教育改革本」もこういった趣旨の本です。

 

次に押し付けてはいけない自分基準や価値観とは何か?といえば芸術(音楽やアニメや漫画など多数)の嗜好料理の味の好み異性の好み職業選択などでしょうか?

 

これらは主観の要素が強く、まさに「人それぞれ」でいいし、特に絶対視しなくても日本の国力がそれほど落ちないという意味では害がない自分基準や価値観です。

 

だからこそ自由が守られるべきであり、この自分基準を押し付けてはいけないのです。

 

とはいえ芸術でも最低限の質という意味合いはあります。最低限の質も保たれていない芸術を「人それぞれ」だと認めてしまうと例えば世界へ芸術を発信する際「日本の芸術ってこの程度なんだね」と舐められてしまいますし、芸術として金を取れるレベルじゃなくなる害があります。

 

料理の味の好みも似たような話であり、最低限の味は保たないと良くないでしょう。「ゲテモノ好き」も少数はいてもいいですが、多数派になったら困ります。

 

異性の好みも人それぞれだからこそ、世の中、多様性が保たれているわけです。異性の好みに「他人が介入」するのはよくありません。とはいえ異性のモテる要素ってだいたい決まっており、モテる異性に集中しがちですけどね。(特に、女性の場合、好みがモテる異性一部に極端に集中します)

 

職業選択の自由があるように職業も自由がありますがニーズという視点から見ると、ニーズがなくなれば、さすがにその職業が消滅する可能性があります。

 

「人それぞれ」が基本の世界ですが給料の多寡は業界ごとに激しく、職業消滅の可能性があるので「人それぞれ」をやたら主張すると危険でもあります。

 

皆さんも考えてみてください。「人それぞれ」を適用してもいい自分基準や価値観は何か?や、「人それぞれ」を適用してはいけない自分基準や価値観は何か?についてです。

 

ではこの辺で。