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自分基準と他者基準「基準がどこにあるのか?を探る重要性」

どうも、「世の中取扱説明書」です。

 

自分基準と他者基準「基準がどこにあるのか?を探る重要性」というタイトルで話していきますね。文字数4898の長文です。力作記事です。

 

読者ターゲット。(読んで欲しい人)

タイトルに興味を持った人。

 

ゴール。(この記事を読んで得られること)

タイトルの意味がわかる。

 

では書いていきます。

目次。

1 基準がどのくらいなのかを探ることの重要性と他者基準に合わせることの話。

2 自分基準優先の人達と自分の基準がどれくらいなのか知っておくべきという話。

3 他者が求める基準について知っておくべき。

4 自分基準と他者基準の把握の大事さ。

5 評論家と実践者にはかなりの差がある。

6 まとめ。

7 自分基準と他者基準の比率で人間の分類ができるかも。

8 自分基準の人との会話例。

9 学歴や偏差値の例の話と僕の主張。

 

1 基準がどのくらいなのかを探ることの重要性と他者基準に合わせることの話。

 

世の中の基準といっても様々です。人、会社、世間などで基準は様々です。

 

その基準がどのくらいなのか?を探ることは人生の重要テーマだと僕は思います。以下に理由を述べます。

 

まず、この世の中は他者(人、会社、世間など)が基準を決めて押し付けてきます。大学受験などの試験での選抜から就活での社会での選抜、恋愛での相手が求めてくる基準など他者からの基準は基本的にあります。

 

この基準に合わせる、または満たさないと他者からの評価は得にくくなります。

 

僕が思うに、人の目を気にしすぎたり、人の期待に敏感な人ほど他者の基準に合わせようとします。それは「良い子」であり、優等生に多いでしょう。

 

他者の高い基準に合わせようとする人は本当に「他者の基準に合わせないマイペースな人」と比べたら、かなり無理していて頑張っている人です。

 

ですが、そういう人ほど健康を害しやすいと思います。僕も他者の期待に敏感であり、役割を得たと思い込み、必死に健康を害しながらも努力してきたので痛いほど理解できます。

 

このように他者の期待に敏感な人への魔法のワードは「マイペース」「リラックス」だと思います。もともと頑張り屋なのですから、マイペースで他者の基準に過剰に合わせず、自分の実力をリラックスさせて発揮させればよいのです。

 

僕は今後の人生で「マイペース」と「リラックス」をキーワードにしたいと思っています。そっちの方がテニスでも結果が出やすくなりますし、人生自体、周りの過剰な期待やプレッシャーに押しつぶされなくなります。

 

2 自分基準優先の人達と自分の基準がどれくらいなのか知っておくべきという話。

 

逆に周りの期待に鈍感な人やもともとマイペースだったり、頑張り屋じゃない人はもう少し、他者の基準に合わせた方がいいです。いわゆる自由人系や楽観主義系が当てはまります。

 

こういう人たちは他者の基準より、自分の基準優先です。自分の基準、自分に課す基準が高ければ他者の基準も自然に満たしますから、問題ないのですがそういう人は稀でしょう。

 

「自分に甘く、他人に厳しい」のが世の常です。自分の基準が(周りの他者からの基準と比べて)低い人が大半だと思います。だからこそ大学受験や、就活などで苦戦する人が多いのです。

 

自分基準で生きている人が多いのです。だからこそ自己中心的な人間が多いとも言えます。ポジショントークもします。

 

自分の基準がどれくらいか自問自答するべきです。

 

自分はどれくらいのレベルの人間を目指しているのか? または自分が他者に求めるレベルの基準はどれくらいなのか?(これは指導者や親目線)などです。

 

3 他者が求める基準について知っておくべき。

 

さらに他者が求める基準についても十分に知っておくべきです。

 

他者はどれくらいのレベルの学力や仕事の成果を求めているのか? 恋愛相手が求める基準は?などです。これができている人は有能です。他者基準がある程度、あるからです

 

これらをきちんと把握するだけでも、人生、かなり変わると思います。

 

4 自分基準と他者基準の把握の大事さ。

 

自分が大して高い自己基準を持っていなかったと自覚したら、仮面をかぶって生きなくてはいけません。それは他者からの高い基準に合わせるのを放棄する生き方になりますから、他者の期待値をなるべく下げさせて、自分の基準でなるべく生きなければいけなくなるからです。

 

要は「自分にはあまり求めないでくれ」という生き方です。他者の期待がきついのです。しかし、仕事や恋愛では他者の基準は高い場合が多いので、当然、生きづらくなります。

 

また自分の基準が高い人は他者にも高い基準を求めがちになります。いや、これは人によるかもしれません。自分の基準が高い人でも他者には寛容になったり、許してくれる人もいます。これは「自分に厳しく、他人に甘い人」でしょうかね。

 

大半の人は「自分に甘く、他人に厳しい人」です。

 

つまり、他者には高い基準を求め、自分には甘い(他者から見たら。自分では厳しいと思っている)基準を課します。だからこそ、皆が「自分は平均以上だ」と思うわけです。皆が「平均以上の世界は、平均値がおかしくなります」からありえない世界です。

 

つまり客観的に正確に測定できる(自己分析にせよ、他己分析にせよ)の人はともかく、大半の人の分析力は精度が悪いからこそ「自分は平均以上だ」と錯覚し、現実では「自分が思ったように他者から評価されない」というギャップ現象が起こるわけです。

 

5 評論家と実践者にはかなりの差がある。

 

さて「外野や外から見ている人」「実際にやっている人」とはかなりの差があると思います。僕のブログ記事もこれくらいなら書けそうだと思う人もいるかもしれませんが実際にやってみればそう簡単にはいかないと思います。

 

僕はフェデラー選手のテニス動画を見て、なんとなく自分もプレイできそうな感覚はありますが実際の試合では足元にも及びません。将棋でもプロの試合はともかく、素人の試合(2段ぐらい)なら自分でも打てそうな感覚があるのですが実際の対局ではそううまく指せません。

 

まさに見るのとやるのとでは大違いです。実際にやった人しか物事の難しさは理解できないのです。だから自分の専門外については特に、皆が「自分は平均以上だ」と思うのでしょう。いや、自分の専門分野でさえ、そう思っているでしょう。

 

大半の人の分析力の精度は悪いです。正確に精度高く分析できるだけで上位1割には入るでしょうね。自己分析にせよ、他己分析にせよ、世の中の分析にせよです。

 

6 まとめ。

 

話が大幅に逸れましたが基準がどこにあるのか?を探れば、自分の生き方を見つめやすくなり、生き方の戦略が変わるでしょう。自分は本当はどの基準まで求めているのか? 自己に対して、他者に対して、世の中に対してです。これらを見つめ直しましょう。

 

そして他者にあまりにも高い基準を求めていると大半の人はそんな自分の高い基準があるわけがないので反発したり、「そんなに自分に求めないでくれよ」と陰で訴えかけてきます。仕事にせよ、恋愛にせよです。

 

婚活で婚期が遅れる女性はだいたい、他者(男)に高い基準を求めます。まぁ女性とは良い遺伝子をもった男性だけを基本的に求めますから高望み傾向は仕方ないといったら仕方ないのですけどね。

 

自分の基準で生きている人から見たら今回の僕のブログ記事を読んだら「え、そんなに他者の期待について考えてるの?応えようとしているの?」と驚かれるかもしれません。

 

または他者基準で生きている人からしたら「よくわかる」と言われそうです。「もっと自己中心的に自分を大事にし、他者の期待にそんなに必死に応える生き方しなくていいんじゃない?」みたいな感じですね。

 

7 自分基準と他者基準の比率で人間の分類ができるかも。

 

自分はどちらの比率が高いか?(自己基準か、他者基準か)でもある程度の人間の分類ができるかもしれません

 

自己基準高めの人は空気が読めず、他人の心理も読めず、マイペースで嫌われる率が高くなるとか。

 

または他者基準が高めの人は他人の顔色を窺いがちで自己評価は低く、他人の心理も読める場合が多く、空気も読めるし、どちたかといえば「いい子」で優等生タイプとかですね。

 

エニアグラムで言えば自分基準の傾向があるタイプはタイプ4、7、8でしょうか。芸術家は自分が特別と思いがちであり、楽天家は楽しいことばかり好きで他人の痛みに鈍感ですし、統率者は自己主張が強いと思います。

 

他人基準の傾向があるタイプはタイプ1、2、3、5、6、9でしょうか。タイプ1は完璧主義ということは優等生タイプ(他人の顔色を窺う)であり、献身家は他人に尽くしますし、成果主義は成功者に憧れることから他人の目を気にしますし、研究者は客観的に物事を見がちですし、堅実家は誰かに守られたいタイプですし(他人依存)、調停者は皆の意見を取り入れがち(でも、調停者はマイペースな人です)です。

 

当たっているかはわかりません。軽く、分析してみただけなので。個人差は当然あります

 

8 自分基準の人との会話例。

 

最後に自分基準の人との会話例を挙げます。SKYPEの女性です。僕と話していたら、僕のことを思い込みの激しい人だと言い始め、僕が「思い込みというより、基本的に理論で動いており半分は野生の感で動いている」と言いました。また「言語化している」とも言いました。

 

そうしたら、相手女性は「みんな、そうじゃね?」って言うのです。「いやいや僕が出会ってきた中にはフィーリングだけで動いている人もいるし、言語化できていない人もいました」と内心、思いました。

 

その女性はコンサルタントなどの友達もいるらしく、自分は理論派だというのです。さらに言葉の使い方が間違っているといいました。「いやー、間違っているのはそっちでしょ」と僕は思いました。

 

理論と論理は違いますし、論理はロジカルとほぼ同じだという話を僕がしたら、話が噛み合わないと言われたり、今度の1月は「来年」だと僕がいったら「今年でしょ」と言うのです。

 

学年で言えば3月までは同じですが、今度の1月は来年ですよね?僕が間違えたのかと思い、他の人に聞いたぐらいでした。

 

自分基準の人だなぁと本当に思いました。自分が基準になると客観的に見れなくなります。「みんな、そうじゃね?」って言われましたが僕のたくさんのデータの中にはそうじゃない人もいたわけです。その女性の出会った人にはそういう人たちしかいなかったのでしょう。

 

9 学歴や偏差値の例の話と僕の主張。

 

この話は学歴や偏差値でも当てはまります。偏差値60くらいの基準の人の話は偏差値50以下の人を想定していないケースが非常に多いのです。

 

「小学生でもわかる」や「誰でもわかる」と簡単に言う人の事例や藤沢数希氏でさえ、高学歴層ばかり相手にしていたから偏差値50以下の人を想定できなくなっていました。

 

僕はSKYPEでもたくさんの変な人に出会ってきましたし、リア友も決して高学歴じゃありません。だからこそ、いろいろ多様な人を知っており、想定できるのです。これが高学歴ばかり相手にしていたら、本当に一般層の視野や視点がなくなっていたと思います。

 

自分基準の人は相手の話を聞かない傾向があります。だからこそ自己中心的であり、自分の狭い?価値観や情報を基準に意見を言ったりします。他人基準の人は相手の話を一応、聞く耳があります。

 

ですが相手が間違っていると思う場合は自分の意志を貫きます。(僕もそうです。話は一応、聞きますが自分でも意見の精度は高いと自負しているのであまり他人に左右されすぎないようにしています)

 

過去、僕の直観の方が当たるケースが多かったからです。

 

自分の主張の精度が高い場合、他人に左右されすぎず、自分の直観や野生の勘を信じた方がいいということです。自分の主張の精度に自信がない場合は自分が精度が高いと信じる人の意見に乗ればいいと思います。

 

ではこの辺で。